雑記-東北の鉄道-
●急行「おが」 2004年12月20日 記す
東北・上越新幹線が開業した年まで走っていたディーゼル急行「おが」。この列車は架線下のディーゼル急行として有名で、上野~秋田間をキハ58の長編成で結んでいました。また僕が乗った時は冷房もついてなかったのを覚えています。夏休みに乗った時は窓を開けて顔を出して外をずっと見ていましたが、秋田に着く頃には顔中ススだらけ。あの匂いもいい思い出です。
●旧客 2004年12月20日 記す
1980年代は住んでいる千葉の普通は113系だったのですが、地方では旧客がたくさん走っていました。東北線も黒磯までは115系なのですが、そこから先は赤い機関車が旧客を引っ張っていました。黒磯は都会と田舎、電車と汽車の分岐点だったような気がします。旧客といっても更新された青い車体のものは明かりが蛍光灯だったりしたのですが、茶色の未更新車は白熱灯のまま。椅子も木製のニス塗りのものもありました。現代では考えられないけどドアは手動だし開けっ放しだったりしたので、走行中はデッキに行くのが怖かった記憶があります。また連結器が貨物と同じなので、発進の時は前の方の車両からガンガンガンと衝撃がきたのもいい思い出です。
●初めての一人旅 2004年12月20日 記す
中学の時(80年くらい?)だったと思いますが、秋田のおばあちゃんの家まで行きました。当時は夜行の鈍行が健在していて、まずは上野発長岡行きで出発。 115系の車内は酔っ払いや登山客で賑わっていました。今でも酔っ払いのおじさんに気をつけて行ってこいよと言われたのを覚えています。そして長岡からも鈍行でひたすら日本海側を北上。秋田には夕方に到着。そこから旧客で八郎潟まで行くはずだったのですが、さすがに疲れたのか寝過ごしてしまい気がついたら東能代。戻る汽車があるかを心配しながら駅員さんに事情を説明し母親に電話。運良く汽車があったので無事おばあちゃんの家に着くことができました。